TOP>第3世界ショップ基金>モザンビーク
モザンビーク 1993~
モザンビークの子供たち「銃を鍬(くわ)にプロジェクト」は、1993年、プレス・オールターナティブ代表の片岡と、前モザンビーク大統領夫人のマシャルさんとの会談から始りました。
「銃を鍬にプロジェクト」は、モザンビーク市民が持つ武器を回収、物資と交換するプロジェクトです。もともと、モザンビーク政府や国連が懐疑的な姿勢を示して、なかなか許可が下りないことから始まる多くの問題を、現地パートナーの地域開発財団(以下、FDA)やモザンビークキリスト教徒協会らと協力してモザンビーク政府を説得し、軍や警察の協力も得ながら、1995年、モザンビーク南部にある首都のマブトを中心に、ついに武器回収が始まりました。
銃を鍬にプロジェクトで集まった銃火器
1996年度は、福井市から交換物資の自転車を送ったり、オリジナルデザインの作業服を寄付したりと、2万を超える銃火器や弾丸が集まりました。
1997年3月には、この成功モデルを世界へ広めようと、南アフリカ共和国で行なった多民族音楽グループ「アズマ」の平和コンサートにおいて、「銃を鍬にプロジェクト」のキャンペーンをオープニングセレモニーを行ないました。
日本国内でも、「銃を鍬にプロジェクト」は地元の自治体を巻き込み、自転車を送る人が出てくるなどの広がりを見せました。さらに、現地モザンビークでの広がりも予想以上の早さで、年度の途中で交換物資が全て交換され、他州の知事や住民からもこの活動を広げてほしいという要請が来ました。
銃を鍬にプロジェクトで集まった銃火器や弾丸その要請を受け、1997年度は、活動をモザンビーク南部から、モザンビーク北部・中央部へも広げていき、日本では南アフリカ音楽グループの「アズマ」の世界キャンペーンコンサートを全国で開催しました。交換物資や回収費用の不足という問題はありますが、市民側からの提案によって成功したプロジェクトとして、広げていきたいと考えています。
■第3世界ショップ基金がおこなった顔の見えるプロジェクトはこちら↓
フィリピン/雑草から紙づくり、そして仕事づくりへ 1989~
フィリピン/低所得住民に対する集団医療 1995~
モザンビーク/ 銃を鍬に!平和プロジェクト 1993~
モザンビーク/住民自立のための耕作機械・基礎医療技術・薬の供与 1995
ミャンマー/持続可能な農業と、栄養不良と結核患者への支援 1994~
南アフリカ/ 黒人女性の自立をサポート 1995~
バングラデシュ/地域発、教育支援・女性の仕事作り、 医療福祉の推進「女性の海外協力を進める会」 1995~
チリ/低所得地区の保育所に教材の供与 1995
ケニア/エコツーリズムによる野生動物保護区の自立 1996~
ペルー/パティオ建設プロジェクト 1999