TOP>インド山羊革工芸品のお話
私たちに山羊革工芸品を届けてくれるのはチャタジーさんです。
山羊革工芸品生産者 チャタジーさん
チャタジーさんの生まれは東パキスタン(現在のバングラディシュ)です。
当時の西パキスタン(今のパキスタン)は軍事政権でしたが1970年の選挙で勝利したのは東のアワミ連盟でした。アワミ連盟は東パキスタンを西パキスタンから分離させて自治権を認めるように要求しました。これに応じなかった大統領との間で1971年、独立戦争が起こります。
チャタジーさん 難民へ
東パキスタンでは西パキスタン側による大量虐殺や暴力行為が行われました。
対象は独立運動をしているだけではなく、市民や知識層、ヒンドゥ教徒も対象となりました。犠牲者の数は300万人以上と言われており、戦争によって900万人のヒンドゥ教徒がインドへ難民として逃れました。チャタジーさんも難民としてインドに逃れた一人です。
チャタジーさんは18歳でインドに逃れてきました。東パキスタンのヒンドゥ教は急進的なイスラム教徒に迫害され、土地を力づくで奪われました。ヒンドゥ教徒は仕事ももらえませんでした。生活も成り立たず、安全も望めない。チャタジーさんは難民になりました。
山羊革仕事との出会い
インドにやってきたチャタジーさんは小さい子供達に読み書きを教えながら生計を立て、中断された教育を終えるために大学へ通いました。1971年バングラディシュが独立すると、東パキスタンに暮らしていたヒンドゥ教のほとんどがインドへ難民としてやってきました。
「ヒンドゥ教であった多くの親戚や友人が、私たちを頼ってインドへやってきました。私たちの生活は大変苦しいものになりました。食料も、お金もなくどうやって生きて行ったらいいかと途方にくれました。」
大学を卒業して衣類の卸売りをしている時、お客様に聞いたシャンティニケタンを知りました。
2年間は無報酬で技術を覚えました。独立したばかりの時のワーカーは10人程度でしたが、今はおよそ100人の仕事になっています。
難民の仕事作り
「山羊革細工の仕事(シャンティニケタン)は私の生きる道です。この仕事はとてもクリエイティブで毎年新しい型、色、デザインと関われます」チャタジーさんがこの仕事と関わって30年以上が経ちました。
この仕事はかつてこの地へ難民としてやってきた多くの人々の貴重な生業となっています。