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洋野町種市の海の防潮堤の手前、レストラン「種市ふるさと物産館 はまなす亭」は、店の中のものがすべて流されてしまいました。「はまなす亭」を営む庭静子さんは、3日間喪失感から何も手がつけられませんでした。しかし、庭さんはこのままではいけないと動き始めました。
直売所に屋台をすぐに始めた庭さんご夫婦流されたレストランは取り壊されました。立地条件としてもレストランを同じ場所に立ち上げるのは難しいですし、また新たな場所探しをするのも大変です。
いっそのこと使わなくなった自宅の離れを改装して、全国に売れる加工品を販売するように方向転換しよう、業務内容はたとえ変わっても今まで雇っていた人もそのまま働くことが出来、さらに地元の家族経営の小漁師から値段のつかない魚を買うことで応援したり、お年寄りの知恵を活かして生きがいにもつなげてもらえ、事業展開が広がるという考えに至ったのですが、先立つお金がありません。
地元の金融機関も熱心に訪問して「必要があればいつでも」とは言うけれども、お金を借りれば当然利息をつけて元本も返さないといけない、そのプレッシャーに負けずに出来るのかという不安を抱えていました。
そこで、私たちはWWBジャパン(代表・奥谷京子)とともには「出来たら送ってね便」を提案しました。
加工場を作るためのお金を応援したいという皆さんからまずは一口5万で200万を集め、改築して加工場を作り、そこで商品が出来たら、お金を出してくださった方に、順次5万円分の商品の現物でゆっくり返していく仕組みです。いつまでにという日時も設定せず、出来たら送るのです。
当初、ご主人からは「古くからの知り合いでもない、たった1年半前に出逢ったような人なんだし、そんなうまい話があるわけない」とだいぶ疑われていたようですが、地域維新グループの若者たちが本州の端からトラックに乗って物資を届けに来たりする姿を見たり、直接伺うことで徐々に信頼していただけるようになったのかな?と思います。時々東京に遊びに行く庭さんのお話を何気なく夫婦の会話として聞いていたようですが、今回の件でこのレストランを通じて、いろんな人脈を持っていたことがご主人には再発見だったようです。庭さんの御宅でお茶を飲みながらお話をした時、台所に立ったご主人は「この近海で取れたイカ、本当にうまいぞー」と焼いて食べさせて下さいました。今ではまるで家族のようなお付き合いです。
改装のために、庭さんの甥の建築士と地域維新グループのスタッフがチームとなって床はがしから始めました。東北で断熱材など建築資材がまったく調達できないことから、応援部隊が再び山口からトラックで届けることになりました。そして私たちは東京に戻ってすぐに「出来たら送ってね便」の呼びかけをはじめました。これまで全国の起業家アドバイスをしてくださっている方々などに声をかけ、わずか5日で目標の40口、200万の応援表明を集めました。震災に対する直接支援「市民による復興トラスト」の1号です。
あれだけの被害を何度もテレビの映像や新聞の写真で目にして、誰しも何かしなければと思わずにはいられません。
誰かがやってくれるのを待つのではなくて、被災した人が一市民として立ち上がり、きちんと商品として売れるビジネスをやりたいと動き出す、その熱い気持ちが全国の人の心をぐっと動かしたのだと思います。再びスタート地点に立った庭さんを、「買うこと」・「食べること」・「紹介すること」でも応援し続けていきます。
この度は皆さんに本当にご心配をいただいております。「種市ふるさと物産館」の庭静子です。この震災の前には種市の浜辺でレストランや物産をしていました。13年目の今、こういう状況になってしまいましたが、人と人とのつながりはすごいなと感じています。
かつてレストランでは、ホヤ飯をはじめとするホヤづくしというコース料理を出しておりました。目の前の海の魚なども加工していました。最初に出逢った時に、奥谷さんにとにかく種市に来ていただきたいと言ったのが縁で今に至るのですが、素直に来てくださったのにびっくりいたしました。
それでこんな風に応援していただけるとは夢にも思いませんでした。実際にお金をいただいてもどうすればいいのか、プレッシャーがないわけではありません。応援してくださった皆さんには、本当にアドバイスなどもいただきたいです。
津波が来る時は船が沖に出ることが鉄則ですので、いち早く船を出して、ホヤ漁の船は全部無事でした。少しずつ海の状況も改善していて、ホヤ漁が数日前に試験的に出ました。今月中には加工場を完成させ、是非期待に応えられるように頑張っていろんな種類を作りたいと思います。楽しみにしていただきたいです。