フェアトレードの第3世界ショップ プレスオールターナティブ

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PA最初の仕事-ニュースづくり

月刊Press Alternative1997年6月号
スタッフ物語より抜粋

■月刊プレス・オールターナティブ

PAがスタートして、最初の事業がニュース作りだった。
株式会社として会社登録した「プレス・オールターナティブ」という名前の「プレス」に、通信社としてのPAのはじまりが窺える。その当時、海外から入って来る情報は山ほど有るが、日本から発信される情報は余りにも少ない、自分達で世界に発信する通信社にしたいという思いから「プレス」と付けた。そして新しい「もう一つの」社会、第三の社会を作るという意味から「プレス・オールターナティブ」という呼びにくい名前を敢えて付けたが、自分達でもスムーズに言えず、ピー・エー(PA)と言うことがほとんどだ。
むしろ「プレス・オールターナティブですが」と名乗っても通じないので「PA(ピー・エー)です」と言い直さなければならないことがあるほど、PAと言う方が通りがいい。しかし、あるスタッフのお母さんが会社に電話をかけてこられた時「もしもし、パーさんですか?」とおっしゃった。「PA」と書いているのをそのまま「パーさん」と口にされたことは、今でも語り草になっている。

というわけで、最初に手掛けた事業がプレス・オールターナティブというニュース発行だった。これは1986年の1月に創刊、毎月滞ることなく出し続けて来た。
※月刊プレス・オールターナティブは2011月1月号第308号をもって終了しました

会社としての最初の仕事は、このニュースを作り、スタッフは購読者を集めることだった。毎週の会議の度に、誰が何人購読者を集めたかを発表し、各々にプレッシャーをかけた。
タブロイド版4P、毎月発行で年間購読料を3,000円にした。もちろん送料込みである。取材・原稿書き・編集・版下まで作って印刷所に持ち込む。一体何部有料購読者を募れば採算が合うのか、などと言う人は誰一人いなかった。ともかく全員が一人でも多くの購読者を募るしか、経済性はなかった。
しかし現実問題として印刷だけでも確か4万円ほどかかった。3000円の購読料で万が一1000人集まったとしても年間300万円、1カ月の収入として考えるとわずか25万。1000通の郵便物を出すのに当時の郵便代で6万円かかる。差引すると他に何もかからなかったとしても、15万円しか残らない計算になる。まして、1000人もの有料購読者を募るのは並み大抵の事では出来ない。
※タブロイド版…普通の日刊紙の1ページの2分の1の大きさ。1ページのサイズは408×273mm

■有料購読者を…

私はメンバーの中でかなり多くの有料購読者を募った一人だった。まず最初に、親・親戚・友達から始まり、花関係の仕事仲間まで電話で頼み、事務所に出入りする人は一人も外さないと言うぐらいのつもりで声をかけた。これは私にとって異例のことだった。

花屋をスタートしてかれこれ23年。この間一度として自分の友達に花屋のビジネスを持ち込んだ事はない。結婚するからブーケを作って、花を届けて、といつの間にか頼んでくれる友人は増えてきているが、自分から「私の花屋を使って」と頼んだ事はなかった。自分の実力で出来るビジネスをする、仲間や家族に頼ってのビジネスはしない、というのが私の数少ないビジネスのルールだった。世間の常識でも、ビジネスを始めたときに商売をする相手は一般を対象にするべきであり、友達、親戚、家族に売るのは最後の砦というのが当然だ。

ところが私は、PAの中ではこのルールを全く無視した。というより自分達の作ったニュースを売り込む相手が誰なのか全くわからなかったし、PAの仕事のルールや手法は今までのビジネスと同じでは出来ない、何か違う方法でしか成り立たないと言うことを言葉にはしたことはなかったが、何となくそう感じていたのだ。

購読者800人への道

このニュースを発行し始め、最初に必要だと感じたのは郵便物第三種の認可取得だった。多くの人に送りたい、読んで欲しい、しかし送料だけでばかにならない額になることに気がついた。他から送られて来るニュース類を見ていると、何故か送料が安い。こうした印刷物を安く送る方法が有りそうだと調べたところ、第三種郵便物の認可を得れば、送料が半額程度になることが分かった。

そのための条件は「有料の購読者800人がいること」だった。その頃の有料購読者数は確か200人にも満たなかったのではないかと記憶している。この800人を集めるために、そして「第三種郵便物」の認可を得るために、スタッフは大変な苦労をすることになるのである。

月刊Press Alternative1997年8月号
スタッフ物語より抜粋

■PAニュース

11年間出し続けたPAニュース(月刊Press Alternative)は、まさに私達PAの歴史、いや足跡といえるものだろう。外観や頁数も。記念すべき第一号は外注印刷時代のタブロイド版で、篠原一先生と片岡の対談から始まった。

A4サイズ20ページ、A4サイズ24ページ、A4サイズ20ページと変わり、現在はA4サイズの28ページになっている。編集も何人も関わってきているが、いま振り返って奥付けを眺めてみると全く考えてもいなかったが、PAニュースを担ってきたのはこの11年間常に女性陣だった。

内容に付いてはニュースを読んで頂くのが最も早いが、自分達のいいたいことだけを言っている時期、外の動きを紹介している時期、自分達の動きだけを紹介している時期、そして提案をし始めた時期から今は時代の先を読み....読んでくれた方々から「PAで以前から言っていた時代になっていますね」と言われるように、時代が私たちを追いかけてきた。

このニュースを作るにもその時その時の苦労が窺える。読物にしたいと思い、内容のレベルアップをはかれば難しすぎると言う声が聞こえ、読みやすくすればつまらないという声が聞こえる、字が大きい、字が小さい、絵が多い少ない、もっとビジュアルを.....と、今もなお試行錯誤の毎月である。

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